Little AngelPretty devil 〜ルイヒル年の差パラレル 番外編

    “星今宵”

           *のっけから“R−12”相当の困った描写があったりしますのでご注意を。
            秋のさかりなのは筆者かも知れません。
 



  今宵は月のない夜だったかな。広間の中が妙に暗くて、それでと思い出すところが相変わらず。だが、それにしては…御簾の向こうの荒れ放題の晩秋の庭が、ところどころを群雲のように曇らせている様がぼんやりと伺えて。それだけ星々が冴えているということだろうか。どこか間近い草むらで、ついさっきまで虫の声がしていたのを、頭の隅にて ふと思い出す。

  ――― ついさっき…だったかな?

 眠っているのか起きているのか、それさえ曖昧な意識の底に、四肢から伝わる筈の感覚もないまま、ぼんやりと揺蕩
たゆとうておれば。火照る頬に触れる、そちらも仄かに熱を帯びたままな指の感触がして。散々に翻弄された嵐が去っての静謐しじまの中。呆気ないほど一気に虚脱するせいでか、ちょっぴり間が抜けた印象のするひとときを、それはまめに働いて埋めてくれてる武骨な手があって。そのままあやされて寝入ってしまうのが勿体ないような気がするほどに、武骨なくせして甲斐甲斐しい、そんな彼の手の温みが実は結構お気に入りな術師殿。しばし うっとりと夢心地なまま、黙って世話を焼かれているのだけれど。とはいえ、
“………。”
 夜気に触れる間も与えずに、手際よく総身をくるむは、着馴らした単
ひとえに重ねた狩衣の、ちょっとごわついた感触で。そこから仄かに匂ってくる精悍な残り香が、まんま持ち主の汗の匂いを想起させ、そこから連なるは…ほんの最前の痴態・狂態の数々だったりするもんだから。

  『…あ、や…ぁ…。ちょ…、待てって、…んぅ…。』

 深みのある白が透けるよな、白磁の肌へと隈なく触れるは、ちょっぴり妙な感触のする指先と、温かで柔らかな唇の感触と。抗いの声を強引で力任せな接吻で封じられ、柔らかな肌の上、敏感な箇所ばかりを執拗にまさぐられ続けた。愛しい相手であればこその反応か、触れられた端から見えない炎が点きそうになり、体内に染みては血が唏
き騒ぐ。日頃踏みしめている板張りの床の上へと転がされ、明らかに体格の違う相手から一方的に組み敷かれることにも、不思議と不満を覚えたことははない。だって、いつだってそれはそれは濃密に丁寧に慈しんでもらえるから。やや手荒に衣紋を剥ぎながら、長い腕で広い懐ろで、すっぽりとくるみ込んでくれる彼の。その雄々しい肉づきに張りつく肌から放たれて、すぐさまこちらへ届く熱が堪らなく愛おしい。夜陰の闇が月光の青がこの身を染めるどころか触れる間さえ与えずに、そのまま一つになりたいような勢いのまま、肌を接し、自分の印で隈無く埋めようと躍起になって熱くなると、もうもう歯止めが利かなくなって。蛭魔からの声でさえ制まらなくなることが偶にあり、

  “…このやろが。”

 のめり込むほど愛でてくれてのことだと重々判ってはいる。そのまま征服凌駕され、何処ぞへ攫われたっていいと思うほどの淫悦に、こちらも陶酔してはいたからこれは、間違いなく“睦み合い”であり。ある意味、立派な“共犯”でもあろうけど。時々は…何てのか、そのまま図に乗せることにつながらないかと思いもして。

  「…このけだものが。」

 広い背中や胸板を剥き出しに、自分は簡単に短袴を履いただけという恰好で、あちこちに目をやっては手当てをしているのだろう、ごそごそと働く頭の上から。まだ仄かに甘く掠れたままの声で、毒を含んだ言いようを呟けば。
「…っ。」
 起きていたとは思わなんだか、そんな反応にて大きめの手が止まり。こちらの懐ろあたりから、そろぉ〜りと上がった男の顔には、相手のご機嫌を伺うような、何とも情けない表情が浮かんでいたりして。んん?と眇めた視線で睨みつければ、

  「…返す言葉もございません。」

 どうやら自覚はあるらしい。途中で何度か…息が切れそうなほどもの執拗な愛撫愛咬を嫌がって、制止の声が上がったこととか。そんな命令が聞き入れられないことへだろう、潤んだ目許が切なそうだったこととか。ちゃんと見ていた聞こえていたから。そして、そんな自覚に目を瞑るとか、開き直るとかも出来ないままに、
『けだものというより蟲
むしなんですけれど』
 なんて揚げ足を取るなんてとんでもないと、大男がしゅんとする様があまりに哀れと思うのか。愛しい君からのそれ以上の愚痴も続かず、
「……………。」
 下から伸びて来た白い手が、黒髪や頬を無言のままに撫でてくれて。まあ何とか…ほだされてはくれる盟主であって。なあどっか痛くね? ああ、何ともねぇ。すまん、何かその。もう良いけどよ。対等な口利きをしつつも、いたわりの分だけちょっぴり腰が引けており。ただ優しいからじゃあなく引け目を感じてのことであるなら、自分を相手に怯まれるのは詰まらないと思うから。もう良いとかぶりを振るし、引き寄せられる腕にも逆らわない。ふかふかと厚みのある綿入れの上で、体の位置を入れ替えて。頼もしい二の腕を枕にと提供されたのへ、漆黒の狩衣にくるまったまま、小さく小さくほくそ笑み、
「発情期なんか?」
 年中起動状態の人間と違い、あるとしたなら春と秋。彼ほどの格の者だとそんな点でも人間と同じで、制御も利くと言ってはいたが、そこはやっぱり人外の性
さがで。ついつい熱くなったことから箍が外れてしまったのかと問えば、
「いや…そういう訳では。」
 どこか覚束無い顔をする葉柱で。だってさ、絶頂に至った誰かさんたら、そりゃあ甘くてうっとりものの、背条が粉々になっちゃいそうな蜜声を上げるもんだからさ。こちらの翡翠の眼差しを見上げて来たのは、金色がどこまでも透けて見える玻璃の眸で。いつもは凍るほどの毅然とした強かさが滲んで鋭いそれが、助けを求めるような罪な熱に浮いてて潤んでいたもんだからさ。男のそっちの感応器ってのはなかなかに鋭敏で。身ごもる立場の女が、全身“性感帯”である割に隈なく攻めなきゃその気にならない、慎重というか厄介なのと対照的に。男と来たらば、それらしい声だけで起動出来たりするからね。やっぱり男であるからか、すぐにも火のつくその身の秘処の奥深く、手慣れた手順で責め立てたなら。直接の絶頂の快感に重なって、か細い悲鳴のように掠れたお声が、何とも切なく上がったそのまま、こちらの総身へとすがって来たから。しかもこちとら夜目も利くからさ。汗が甘く匂ったままにて、ほんのり血の気が上った白い肌やら。悩ましげに眉を寄せ、伏し目がちになった目許や、蜜に濡れて妖しくぬめる口許や。愛しい人のそりゃあ艶っぽいお顔がよ〜くよ〜く見えた日にゃあ。萎えるどころかもっともっとと掻き立てられるのが、お馬鹿な男の単純なところ。怒らせれば怖いと判っているのに…そんな盟主殿を泣かせては後悔している、相変わらずの学習能力のなさだったりする、蜥蜴の総帥さんであったりするのだが。
「ったく変わりもんだよな、つくづくと。」
 俺は男で、柔らかい乳もなければ細腰でもない。骨張ってばかりの野郎相手によくもまあ欲情出来ると、冷然とした口調でそこまで言われるとさすがにね、
「そういうお前こそ、変わりもんに違いなかろうがよ。」
 他人のことが言えるのかと、そこはちょっぴりムッとしたから、やっとのことで言い返す。
「日頃は性欲なんて存じ上げませんとでも言いたげに、まるきり乙に澄ましてやがるくせしてよ。」
 同じ男を、それも蟲妖を相手に、あられもない声あげて きっちりよがってやがったんだ。いつもの澄まし顔も、晩になりゃ剥がれる嘘の皮だってことになんじゃねぇの? 回りくどくも仄めかさずに、露骨にズバリと言うところが、何とも稚拙で…却って逆らう気にもなれなくて、
「自分で自分を貶めてどうすんだ。」
 それに、この懐ろほど居心地の良い場所もないから、うん。ムキにはならず、小さく笑って受け流せば、
「人外じゃねぇとそそられねぇの?」
「ば〜か。」
 人を何だと思ってやがると、そこまでの啖呵は良かったが。他を知らねぇのに人外だからかどうかもなかろうが…と言いかけて、ハッとした視線が焦りながら周囲の夜陰を引っ掻いて、

  「誰でも良いってことじゃあねぇだろがよ。」

 …溺れかけの粗忽者が慌てて掴んだ“ワラ”は、その粗忽さには相応しいまでに間が抜けていたそれだったような。これじゃあやはり同じよな言いよう、相手を有頂天にさせないかと後からドキドキもしたけれど。さすがはトカゲ、相当に間が抜けてたもんで。そかそか・そうだよな、そういうもんだよなと妙に何度も頷いて、納得の体を示して見せただけ。そんな応じへとこっそりと安堵の吐息をついてから、
「ん…。」
 もう御託はいいから寝ちまおうやと。そこだけいやにすっきりした線のおとがいから続く、ごつりとした喉元へ…抱えられてた胸元から乗り上がるようにしながら顔を伏せ、悪戯半分に唇の先を這わせれば。不意に間近まで寄って来た温みを慣れた手で支えつつも、擽ったげに低く笑う声が響いて来てこちらにもほんわりと心地良い。あやされるように髪を梳く手に眸を細め、同じ温もりにくるまりながら、そのまま一つになっての眠りを探しにゆくはずが………。


  「……………………?」


 おややぁ? 御簾の向こうの庭先から、虫の声以外にも聞こえる気配があるような。小さなお声と低いお声と。片やが切迫しているのを、片やが何とか宥めているというやりとりであるらしく。この屋敷に寝起きしており、こんな時間帯に起きていて明日に支障が出ない住人といえば…察しもあっさりつくのだが、
「…こんな頃合いに起きてるなんて、珍しいことじゃねぇのか?」
「ああ。」
 しかも、進が制めるのを聞かない瀬那だってのはよほどのことだと。せっかくの甘い睦みとその後のムーディーな言葉の綾取りも、容赦なくあっさりと蹴散らされてしまったお館様たちでありまして。

  “これでくっだらねぇ痴話喧嘩だったなら、
   二人揃って朝一番に、大津まで鯉釣りに行かせるかんな。”

 水が冷えて来ると身が締まるって言いますもんねぇ…って。ここまでは結構余裕のお師様だったのでございますが。よもやこの後、自分のお節介から一運動させられようとは、思ってもみなかったから、ある意味“ご愁傷様”だったりして………。









            ◇



 月齢ナシの新月の晩だとはいえ、今にも降って来そうな星を満たした夜空が、冴えた空気の中、天穹の彼方に仰げて見えて。そんな星々の瞬きに見送られ、荒れ放題の庭先から出発した次の瞬間にはもう。目的地の丹精された庭へと現れ出ている彼らであり。眼前に広がるは、先程までいた空間とは正に別世界の有り様で。すっきりとした空間は、一種の様式美によってまとめられ、浮橋に池、趣きのある草木の配置も典雅な、落ち着いた風情の庭園は、権門貴族の屋敷には特に珍しい拵えではないながら。ただ…こんな夜更けにもかかわらず、ところどころに焚き上げられた篝火の、高脚の上、炎籠の中にて躍る炎群に照らされて、真昼の如くに明々と明るいのが、異様と言えば ちと異様かも。庭に敷かれた白砂を、黄昏色に染め上げている最も大きな篝火の前、直衣姿の男が仁王立ちとなり、朗々とした声で特殊な音韻の咒詞を紡ぎ続けている。能力者になら見えるのが、そこから庭へと放たれている強靭な結界の、網また網で。これはどう見ても、大地の気脈を滞らせないがための祈りや何やではなく、

  「…邪妖封じか。」

 自身が日頃手掛けているものだけに、そういう意味合いからは驚きはしなかった蛭魔であったが、
「封じではなく固定の咒とは。これは相当に手ごわい相手であるらしいの。」
 彼の対面、広大な庭の向こう側にも相棒が立っていての挟み撃ちという構え。強力な咒を同じ波長で放ち合い、その狭間に強引に押さえ込むという形での固定が精一杯とは、術者たちが相手の素早さか腰の強さへ、よほどに切羽詰まっていたことを物語り、
「それも、天下の神祗官様の御曹司がこれとはな。」
 決していつもの調子で小馬鹿にした訳ではなく、相手の技量を買った上、純粋に驚嘆しての一言を零した蛭魔であり。そんな彼の到来をとうに察していたらしく、
「よく来てくれたな、蛭魔殿。」
 咒詞の詠唱をひとまず止めて、こちら側に立っていた直衣の青年がやっとのこと口を開いた。意識をよそへと逸らしても、その姿勢も、印を組んだままな両手の構えも、微塵にも崩さぬ態勢なのはさすがではあったが、表情の硬さは真剣勝負の只中にあることをまざまざと示しており、
“いくら武者小路家の御曹司でも、扱う咒に得手不得手があるってトコか。”
 陰陽五行を専門に扱い、主には吉兆を占うための方位学や天文・暦を司る役職であるとされながら、その実。大地の気脈に自然界の精霊、人の怨念が遺しし遺恨や悪霊などへと真っ向から対峙する…よなことも、偶にはあるかもという、導師一族の大権門。現在の当主が一人で2人目の帝にお仕えしているというほどに、その名を知られた実力者の武者小路家にあって、彼こそが次の当主候補と誰からも認められている、紫苑という名の、直系長子の青年であり、
「こんな実践まで体験なさっておられようとは。正に実力派の御曹司様だな。」
 彼らが専門とする、陰陽五行を基とする法力法術、符咒に念術、祈祷にお祓いなどなどは、実際のところ、理屈や学問として収めてさえいればいいものというのが現実で。邪妖だの霊魂だのが現実世界に仇を為すなどと、そんな世迷いごとを本気で口にするような者は、仏教の民へまでの広がりとともに、そろそろその数を減らしつつある。ともすれば、現今の帝のお人柄や人望が素晴らしいからこそ、神に等しき天も地も味方をし、妖しき存在もその畏れ多さに黙って平伏しておりますものと。そんな風な物の言いようのためにだけ担ぎ出される存在と化しつつあるのが、神様担当の“神祗官”であり。そんな高貴な立場にありながら、なのに…実際にこんな荒ごとを手掛ける人物なんて、正直言って蛭魔はこれまで出会った試しがない。
“目の当たりにしてても何だか意外だっての。”
 邪妖の存在やそれらによる狼藉の事実をたとえ信じていようと、はたまた実際にその跋扈跳梁に立ち会ったとしても、こんな実務は下っ端の仕事だもんよな、と。お高くとまって難儀は人任せにすりゃいいもんを。それこそ自分ら専門家が腕を発揮しないでどうするかと、進んで対処に立った彼らに違いなく。そうと思えば…相手の純正なる育ちのよさへ、やっとこ呆れてその細い双肩が上がった蛭魔だったりしたのだが。この時代には異形の風采、金髪に金茶の眸をし、神通力にて宙を翔って現れたる異分子術師へと、
「それを言うなら、蛭魔殿とて。この気配、よくぞ探り当てたものよ。」
 その底知れぬ能力ごと、蛭魔を結構買っている節のある御曹司殿。まるで御伽話か絵巻物のような、邪妖との鍔競り合いを幾度となく制覇して来た彼であると、やっかみや讒言としての要らぬ脚色を抜きにして、真実の情報として冷静に耳目に集めていたらしく。とはいえ、今夜のこの騒動は、正に突発的な事態ゆえ。遠い在所におわす彼へは、そうそう簡単には届かぬはずだと、言い返して来たのをやんわり受けて、

  「なに、ウチのちびさんがこんな夜中に夜遊びに出ようとしかかったもんでな。」

 預かり先の責任者としては、おいそれと見逃せなくてよと。一見、他愛ない世間話を交わしているだけに見せつつ、蛭魔の視線は…青年導師の組んだ印が搦め捕っている何物かへと向いていて、神経を集めての検分中。白砂を敷き詰めた庭の中ほど、後の世ならばそこへ禅宗の習いでもっての墨水画調の波の模様でも熊手で刻むような広い空間に、同じ大きさの三角錐の小山が二つほど間を空けて並んでおり、その狭間に…何物かの影がある。御幣を下げたしめ繩を笹にて張って作りし“禊裁”空間。亜空との障壁を緩めたそこへと、招き降ろした御魂か何かが、
「誰ぞか、取り込んでおるのか?」
「ああ。ウチの書生のちびさんでな。甲斐谷家の陸という童子だ。」
 名を聞いて“ああ…”と、蛭魔にもようやくの合点がいったことが一つ。こんな遠い場所の騒ぎを、言っちゃあ何だがまだまだ修行中のセナが、しかもこんな時間帯ならもう寝入っていた筈だのに、どうして感じ取れたやら。そこがどうにも不審だったが、
“親戚筋って言ってたか。”
 自分に憑いた不思議な式神の暴走のせいで、関われば石が降る子と恐れられ。大人たちからは疎まれ、子供たちからは苛められてたセナ坊が、唯一仲良くしていた同世代の子供。同じ母に育てられたる“乳兄弟”の少年が、やはり修行にと住まわっている屋敷での、しかもその彼へと降りかかった緊急事態だったからということか。
『お前は進に連れて来てもらえ。』
 身支度を手早く整えてから、そうと言い置いたお館様が駆け出しながら手を伸ばして掴まったのは。少し先を既に駆け出していた、蜥蜴の式神の青年の長いめの腕で。前以ての打ち合わせでもあったかのようにすんなりと、その腕の輪の中へ包み込まれ、一瞬にして夜空を翔けての到着は相変わらずのスゴ技で。その式神こと、蜥蜴の総帥さんはといえば、この屋敷の若主人と言葉を交わす盟主をよそに、結界を反対側から支えているもう一人の存在の方へとその視線を投げている。
“…もしかして、あやつも俺と同類なようだが。”
 こちらの青年導師が、年齢相応に男臭くも精悍でありながら…涼やかな眸も撓やかな肢体もどこか嫋
たおやかな、貴族の風情をその気色の底へと湛えているのに比して。そちらの彼はすっかりと厳つい風貌の頼もしき男衆。しかもしかも、表情乏しく突っ立った彼からは、微妙に野趣の濃い香りというか、特異な存在感というかが嗅ぎ取れて。縫い合わされているのではなかろうかと思うほど堅く閉ざされた口許に、瞬ぎもしない頑迷そうな目許。これはもしかするともしかして。自分のように…実は人ならぬ身の者が、主人の命に従うための勝手がいいようにと人の姿になっているのかも。だが、それにしては、
“陰体を封印する咒を唱えたり、結界を保持する補助をこなせたりするってのは、一体どういう理屈なんだろうな。”
 葉柱は蛭魔との契約あっての式神で、だが、大仰な儀式の末に召喚されただとか、誓いのために血を交換し合っての取り引きがあったというよな間柄ではない。言ってみりゃ口約束による単なる“誓約”を交わしただけなので、眞の名前に縛られてこそいるものの、それ以外には…その能力にも基本的には変化もなくて。元から使える陰系の咒を彼に代わって発揮するとか、邪妖との力比べに際して途轍もない力を発動する強靭な剣を振るうとか。あくまでも邪妖のままにて、そういう役回りでの補助を果たすに過ぎず。自分もそのカテゴリー内に含まれる“陰体”を封滅する種の強い咒は、触れれば大火傷をするだろう鬼門なまま。というのが、式神とは本来、陽界の存在である術者が直に触れてはいけない、その禁を破れば自身に負世界への門を開けてしまうだろう“禁じ手”の、陰の咒をどうしても扱うためにと編み出されたものだからで。………って説明に走るとマニアックな方へどんどこずれ込むので、今回はここまでにするとして。
(おいこら)
『あれはきっと、主人との契約の中に、そういうものへの耐性を持てるようになる咒をかけといてもらうというのも含まれていたのではあるまいか』
 あくまでも自分の補佐をこなしてもらいやすいようにという、勝手というもの、構えてのことだろうがなと、それが蛭魔から後日に聞いた結論で。そんな耐性がつくような便利な咒があるのか?と訊いたら、便利かぁ?と思い切り怪訝そうな顔をされた。
『それじゃあ普通一般の人間の術者と変わんねぇじゃん。』
『それじゃあ何か不味いのかよ。』
『今時にはある意味で“飛び道具”にも等しい、陰系の攻撃咒が得意っていう取り柄がなくなったら、お前をわざわざ呼ぶ意味がなくなるだろうが。』
『………俺って飛び道具なのか?』
 などという、なかなかに不毛なやりとりがあったりしたらしいのだが、それも今はともかくとして。
「…おい。」
 ついうっかり。状況把握の途中にて、気が逸れていたのは葉柱の落ち度であり。自分を呼んだ盟主の声へ、え?と顔を向けたとほぼ同時。何事か口の中にて唱え始めていた蛭魔だと気づいて、
“しまった、ちょっと目を離してた隙に………っ。”
 直感的に何を思いついた彼なのか。せめて表情なり会話の一端なりを見ていれば、そこからの延長線というものが辿り易いところだが、うかーっとよそ見をしていたもんだから。果たして何を思いついた彼なのやら、皆目見当もつかないうちに、唱え終えた咒の賜物、指先に光る仄かな何かを自分の右腕へと塗りつけたかと思いきや、その手でがっしと葉柱の着ていた狩衣の後ろ衿を掴みしめ、
「え? え? え?」
 背丈は葉柱の方があるはずで、膂力だって腰の強さだって葉柱の方が以下同文。だっていうのにあら不思議、ぐいっと一旦後方へ引いて、それをいわゆる“バックスイング”若しくは“ピッチャー、大きく振りかぶって”とし、力を溜めてから、
「てりゃあぁぁっっ!」
 勇ましいまでの掛け声一喝。ぶんっと腕を大きく前方へと振り出せば…これは一体何ということでしょう。

  「どあぁぁっっ!!」

 どう考えたって物理的に不自然な現象、でも、実際に…ずんと大柄な葉柱さんが、篝火に照らし出されし夜陰の中、風を切ってという勢いのまま、二人掛かりで前後から押し合うことで、そこへの固定を保たれていた邪妖謹製の結界へ、一直線にすっ飛んでいったのは紛れもない事実であり。陰陽の術師からの攻勢に遭って、それへと邪妖が構えていた一種の抵抗、その身を守るための特殊障壁をもぶち抜いて。白砂の上、ざざーっと見事な滑り込みにて顔から不時着した蜥蜴の総帥様。機敏な動作にて片膝立てて、がばちょと身を起こしがてらに背後を振り向いたそのまんま、

  「いきなり何しやがるかなっ、手前ぇはよっっ!!」

 あなたほどの屈強精悍なお兄さんが宙を吹っ飛んだ事実からして、結構衝撃的な出来事ではあり、咒を保持していたお役目のお二人の目が見事な点になっていたほどだったが、
「いちいち うっせぇよっ。」
 そんなとんでもないことをしでかした張本人さんはといえば。今は遠く離れたところから、偉そうな姿勢のまんま、胸高に腕を組み、吹っ飛ばした彼を見やっているばかり。金色という珍しい色の髪が、篝火の炎の赤を受けてはひらめく様が、まるで彼もまた炎の眷属であるかのような、超然とした風貌となって映っており。凛々しきお顔を毅然とさせたままにて佇むその姿の、何とも強かそうなことか。余裕の笑みさえ浮かべておいでで、既に勝敗は決したと言わんばかりの傲慢さであり。
「…ったく、人使いが荒いったらよ。」
 こちらはこちらで、ぶつくさ言いつつ…自分の着ていた漆黒の狩衣の後ろ衿へと、その左手を肘から高々と掲げて見せつつ、回しやった蜥蜴の総帥。そこを長めの指先にてごそごそと撫でてながら、
《 来や。》
 懐ろの前にて構えられたる、空いてた方の右手には、いつもの常で精霊刀を召喚しており。衿から手へと移った仄かな光、それで握った鯉口を左右に引き割り、すらりと鞘を払った精霊刀を。ちゃきりと回して逆手に構え、
「そこな坊主、動くなよ?」
 この障壁の内部にて、真っ黒な負体の邪妖によって、囚われの身となっていた少年へと声をかけ、返事も待たずの…一刀両断。思いきりの袈裟がけは、下段からの斜め撥ね上げという攻勢を、そりゃあ素早く仕掛けてのけて。

  《 ぎゃぎゃぎゃ・ががぁっっ!!》

 恐らくは一番安全な障壁内だと高をくくっていた邪妖へと、蛭魔が掴んでた後ろ衿へと授けられたる陽咒の欠片を、まんま塗りつけし刀にて。目眩ましを兼ねた攻勢を仕掛けた葉柱であり、
「あ…。」
 就縛の力が抜けた隙をつき、長い腕を伸ばして、まんまと人質奪還に成功し。そのまま、少年の小さな肢体を懐ろへと抱え込んで、
「体、丸めな。」
「あ、はいっ!」
 ここまでの一連の作業に、果たして5秒、かかったかどうかという早業であり。そんな間合いを向こうは向こうで、ただぼんやりと睨んでいた蛭魔ではないところが、

  “…なんて呼吸の合いようだろうか。”

 ついさっき、葉柱が“いきなり何すんだ”と怒ったのは、演技でも何でもない本当の本音だ。当然のこと、蛭魔は一言も、目線ですらも自分の思惑とやらを相手へ伝えてはいないままであり。なのに、あの蜥蜴の眷属らしき、黒の侍従とやら。実にてきぱきと働いて、彼からの期待にしっかりと応じ切っている。
“彼を投げたのは、彼が陰体だから、あの邪妖の張った障壁を難無く素通り出来ると踏んでのこと。”
 武者小路本家という、ある意味で最も守りが堅かった筈の、とんでもないところに現れた憎っくき邪妖の性質は、どうやら陽の素養への反発系。陽の咒への抵抗反射があまりに強い代物だったが、そういう手合いは逆にいやぁ、陰体やその素養には抵抗の術を持たない筈で。そうと見切って、さてそれから。彼に自力で飛び込ませたのでは、相手からも警戒されただろうから。それでの“投擲”という手を断じた彼であったは、何とも素晴らしい奇襲作戦であり。とはいえ、ポ〜イと投げられる腕力なんてもんはさすがに持ってはいなかったからと、自分の身の裡にて練ったのが、膂力を上げるための経絡を刺激する咒だったに違いなく。そして今、

  《 ちょーっと悪戯が過ぎたみたいだな。》

 淡い光をまとった痩躯。その身の裡からあふれて沸き出す大量の念が、勢いよく吹き出すそのまま対流風を生んででもいるらしく。秋の襲
かさねも艶やかに、小粋な着崩しで羽織った小袖と袷あわせの袂が袖が。うなじや額で金色の髪が、ひらひらはたはた、軽やかにはためいては躍っており。奥行き深く重なりし、夜陰の漆黒の帳とばりの中にありながら、篝火の紅蓮さえ凌駕するよな存在感が、その場の全ての生気を従えて。鋭い眼差しで見据えたるは………葉柱が突き抜けたことでぽっかりと大穴が空いたまんまな、邪妖の障壁とその奥の作り主。

  《 ぎゃぎゃっ・がぁっっ!!》

 人で言うなら“背条が凍る”とでもいうところか。自分へと押し寄せるいやな予感に、感応器が揺さぶられての悲鳴だか罵声だかを上げた邪妖であったのだろうけど。

  《 …遅せぇよ。》

 びしっと鋭い所作にて延ばされた腕の先。その腕に沿っての螺旋を描いて、彼の全身からほとばしる生気を凝縮させた攻撃の咒が、一閃の雷光となって宙を翔ける。出来る限り身を縮め、地に伏せての退避をと構えた葉柱と少年と。二人の頭上を、正に稲光のように鋭く走った閃光は、前後から圧迫を受けて縮められてたその障壁を、隅々までも満たしてから、一気に弾けて。秋の夜陰に弾けて散るは、粒の粗さが微妙ではあれ、季節外れの蛍のようで。………結局あれって何の邪妖だったんだろうなとは、数日経ってから再会した皆様全員が感じた感慨だったそうだけれども。
(おいおい)

  「陸っ!」

 遅ればせながらに到着したセナが、葉柱に抱えられ、足元の覚束無いままそれでも立ち上がった小さな少年へと駆け寄って。
「大丈夫だった? いきなり襲い掛かられたんでしょう?」
「もう平気だっての。それよか何でお前まで。」
「だってボクのところまで、届いたの。」
「…何がだよ。」
 心配されてると判ってはいてもね。あんなみっともない目になってただなんてさと、少々バツが悪いと感じている陸少年なのだろう。おっとりと大人しそうで気立ての優しいセナとは違って、見るからに負けん気の強そうな、挑発的な眼差しの力だけは衰えていない、そんな彼へと、

  「だって、皆さんが“陸”って。今助けるから待ってろって。」
  「………あ。」

 とっても切迫した、そんな声が届いたから、何があったんだろうって物凄く心配になったと。セナを見守る守護の進さんが、呼んでもない内から出て来て“どうかしたのか”と案じたほど、そりゃあ不安になったんだと。正直なところを口にするセナの素直さに、居合わせた大人までもが表情を和ませてしまい、

  「俺らは先に戻るから。進と一緒に戻って来いな。」

 いくら宵っ張りでも、こんなよそ様の庭先でわあわあ騒ぐよな、十代の若いのみたいな真似が出来るほど、厚顔じゃねぇからなと。くすんと笑ってやってから、こっちのお館様には簡単に目礼だけ向けて。そのまま再び、自分の進行方向へと伸べられてた腕へ。当たり前の呼吸にて掴まれば、これほど頼もしき杖もなく。夜空を翔っての帰宅を果たす。

  「あったく無茶苦茶しやがってよ。信じらんねぇ奴だよな。」
  「ああ"?
   その無茶苦茶にきっちりついて来やがったのは何処のどいつだよ。」
  「あの導師が唱えてた咒は正真正銘、邪妖向けの攻撃咒の一種だったんだぞ?」
  「だから?」
  「少しでも触れてりゃあ、俺もただじゃ済まなかったっての。」
  「ば〜か。固定咒でしかも対象限定かかってたから、
   たとい俺様の投げ方が悪くてお前がもろに触れてたって影響してねぇって。」

 投げるのは真っ当な腕前で良かったよな。何だと? 蹴られていたなら、何処へ飛ばされていたことやら。そんなに言うなら今ここで試してやろうか…などなどと。いかにも口汚く罵り合っているものの。ふわりと伸べられた腕は、長いだけでなくこっちの呼吸も把握しての広げ方だから、絶妙なまでに掴まりやすくて。絶妙な応じといやぁ、さっきだって。何の言葉も交わさぬままに、こっちの企みを完璧に読み、力を尽くして援護したくせにね。失敗してたらどうしたよと、今になってお説教をすることの意味のなさに、果たして気づいてやってる葉柱なんだか。


  ――― ともかく、ほら。寝れ寝れ。
       なんだよ、ともかくってのは。
       お前、スタミナ使い果たしてた筈だろうがよ。
       ………誰のせいでだかな。////////
       だから。寝てる間に補給しててやっから、早く寝れや。


 やっとこ戻った広間の真ん中。すっかり冷えてた寝間には閉口したものの。温かい懐ろへくるりと抱かれて横になり、柔らかな髪、何度も何度も梳いてくれる指の感触にじゃらされて。片付けたばかりの邪妖のことさえ、あっと言う間に忘れ去り。何事もなかったかのように、微睡みの中、ゆるやかに漕ぎ出して夢を見る。今宵 耽るは如何な夢か。この心優しい邪妖の総帥もそこに居ればいいのにと思いつつ。頼もしき匂いにくるまれ、今度こその夢路を辿る、ホントは細い肩なのを包んでてほしい意地っ張り。そんな気持ちがどうしてだか、言いもしないのにやっぱり届いて。あとはただただ白河夜船。風になびいて茅やススキがさわわさわわと歌ったのも、星が幾つも瞬きながら穹の天蓋を流れてったのも。何も知らない覚えていない、無心に眠ってた術師の君であったのだそうな。








  〜Fine〜 05.11.04.〜11.05.


  *フェチバトンを回答していて、ふと…むくむくとして来たもんで。
   それでと一気に書き上げてしまいましたです。
(笑)

ご感想はこちらへvv**

back.gif